みのもんた「テレビの仕事はゼロ、パーキンソン病を抱え…。でも、最後まで捨てちゃいけないよ、人生は」

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みのもんた「テレビの仕事はゼロ、パーキンソン病を抱え…。でも、最後まで捨てちゃいけないよ、人生は」

2021/09/13

2020年春、『秘密のケンミンSHOW』を降板。21年春には地方局の出演番組も終了したみのもんたさん。77歳の今、パーキンソン病を抱え「われ、老いたり」と認めつつも、「終活なんか、するものか」と、これからの人生に意欲満々です(構成=福永妙子 撮影=本社写真部)

目次

    妻のお骨は今もキッチンに

    現在、テレビの仕事はゼロですが、親父が創業した水道メーター製造・販売会社「ニッコク」で、代表取締役会長を務めています。会社には、月曜から金曜まで毎日行っています。お昼の12時半ぐらいに出社して、午後3時半には退社。実のところ、会長の仕事なんて1時間もあれば終わっちゃいますから。(笑)

    12年の5月に妻の靖子ががんで亡くなり、以来、神奈川県・鎌倉の家でひとり暮らし。何とかやっていますよ。

    仕事がもっとも忙しかった時は、週に朝に6本、昼に5本の生放送のレギュラー番組をもち、加えて特番もあったから、1週間に16本くらいテレビに出てたのかなあ。仕事を終えると銀座に繰り出し、帰るのは深夜。帰って、ちょこっと飲みたい僕のために、妻は何時になっても支度して待ってくれている。そして、朝の生番組があるから、数時間の睡眠ののち、またテレビ局へ。

    そんな日々でも、妻は文句ひとつ言わず、付き合ってくれました。僕の毎日の衣装の組み合わせは、すべて妻がスタイリストとして考え、用意してくれていた。今日着ている服も、妻が生前に買っておいてくれたものです。

    妻はずっと僕を支え続けてくれた《人生の同志》でしたから、亡くなって茫然自失の日々でしたよ。妻を失ったあと、間をおかず亡くなる夫も多いと聞きます。だけど僕は妻のあとをすぐに追うのではなく、神が与えし運命に従い、「まだ生きよ」と言われるのなら、その日々を少しでも楽しく生きたい。それが先に逝った人への供養だと考えました

    妻のお骨は納骨せず、彼女の好きだった場所、相模湾が見渡せるキッチンの窓辺に置いてあります。「そのうちに……」と思いながらも、何となく納骨のタイミングを逃してしまって。今も毎日、話しかけているんですよ。

    75歳の時に免許返納した理由

    この8月で77歳になりました。自分は元気だと信じ、気合を入れて己を鼓舞すればまだまだやれると思っていても、無理なものは無理、抗えないこともあります。

    僕は自動車の運転免許証を75歳の時に返納したのですが、これも老いをはっきりと自覚したから。免許の更新で、軽い気持ちで高齢者講習を受けた時、実際に車を動かしてみると、アクセルを踏み込んだあと、すぐにブレーキに踏み替える動きができない。「これはいかん。もう運転はやめたほうがいい」。その場で免許の返納を決めた。軽~い気持ちで行ったのに、重~い気持ちで帰ることになりました。(笑)

    07年から続いていた『秘密のケンミンSHOW』を2020年3月で退いたのも、司会者としての衰えに気づいたから。出演者たちのテンポについていけない、若いタレントさんたちの顔を見ても名前が出てこない。舌の回転には自信があったのに、言葉がつっかえちゃう。のちに、それもパーキンソン病の初期症状のひとつでは、と主治医の先生に言われたけれど、あれやこれやで、つい黙っちゃうことが多くなったんですね。

    それまでは常に自分が番組の中心にいたけれど、今の自分はそうじゃない。この疎外感。もどかしさを感じるうちに、どこかで区切りをつけなくてはと思い、番組スタッフに降板の意を伝えました。

    歳をとることは、人として劣っていくことではありません。人間として円熟してきた部分、年齢に合った魅力もあるでしょう。けれども、「自分はまだ若い」ということにしがみつき、そこにある現実の衰えから目を背けようとする。それこそが「ミジメ」なことであり、僕の目指す「おしゃれ」に反するものなのです。

    パーキンソン病と付き合っていこう

    数年前からパーキンソン病の症状が出てきて、投薬治療を続けています。知人のお葬式に参列した時、ふらつく僕の姿を見て、知り合いが「病院に行ったほうがいいよ」と助言してくれた。それで早期発見できたのだから、僕は運がいいほうです。

    この病気は、脳の情報伝達をする神経の変性により、身体の動きがうまく調節できなくなるというもの。具体的には、筋肉がこわばったり、足を前に出すといった簡単な動作が、頭では思っても、すぐにできなかったり、日常的な動作が少しスローペースになったりします。

    当初は、「何でこんな病気に」と思ったりもしたのですが、歳をとれば一定数の人がなる病気だと言いますし、新しい治療薬もどんどん開発されています。僕の年齢になれば、体のどこかに故障が生じてもおかしくありません。修理やメンテナンスをしつつ、いい状態を少しでも長く保てるよう努めながら、病気と付き合っていこうと思っています。

    僕が恐れているのは、歩けなくなること。主治医の先生からは、「筋肉が萎縮するのを防ぐために、かかとから足をつける歩き方で、毎日3000歩以上歩くように」と言われています。それで毎朝5時半に起きて、部屋から部屋へと家の中を1周。それを、3000歩を超えるまで何度も繰り返しているんですよ。

    今はコロナで難しいけど、収束したら、銀座に飲みに行きたいし、赤坂の馴染みのお店で美味しい料理に舌鼓を打ちたい。おしゃれをしてね。そのためにも、歩ける自分でいたいのです。

    主治医の先生はノセるのが上手で、「背中が少し曲がってるのは、ひとりで歩いているから。女性と歩くと、真っ直ぐに伸びますよ」と(笑)。そんなわけで、ガールフレンドと一緒に歩く姿をイメージしつつ、毎朝、サボることなく歩いているのです。

    黄昏時に無性に寂しくなる

    今までは、落ち込むことがあっても長く引きずらず、朝起きてから夜寝るまで前向きだ、なんて自分のことを思っていました。けれど、この頃、ちょっと違うんですよね。会社から帰ったあと、黄昏時に無性に寂しくなるんですよ。そして、「これからどうしたらいいのか」「何を考えればいいんだろう」とわからなくなる。

    僕の寝室からは江の島の灯台がよく見えるのですが、夜になって、くるくる回るその灯りを見ていると、「明日も、明後日も、この灯りが見られるだろうか」とまた暗い気持ちになる。

    作家の森村誠一さんが、ご自分の老人性うつ病のことを本に書いていらしたけど、「僕もそれかな」と。年齢やパーキンソン病の症状、加えて、コロナ禍で以前のように外に出ていけない。そうしたことが重なり、一種のうつ状態になっているのかもしれません。

    そういう時、僕は友人や知り合いに電話をかけまくります。とくに女性のところに(笑)。隣町に住む妹夫婦を、「一緒にめしを食おう」と呼び出すこともある。とにかく、人と話そう、外に目を向けよう。夕暮れの空ばかり見ていないで、灯りをつけて部屋を明るくしよう……そういったことを心がけています。

    お酒も食事も自由に楽しめるようになったら、誰とめしを食おうか、どこに行こうかとか、この先、やりたいことをあれこれ考えていると、実際、楽しくなってくるんですね。

    3人の子どもたちは心配し、長男など「一緒に住もう」と言ってくれるけれど、何かの時に行き来ができればいい。それより、やっぱり僕は自由でいたいのです。

    77歳の僕の人生はまだ7回裏くらい

    世の中を見渡すと、雑誌や新聞、テレビも「終活、終活」でしょう? 残った人に迷惑をかけないように、というのはわかるけど、僕は、「死」に向けて追い立てられているような気がして、心が萎える。残りの人生を楽しみたい僕にとって、「終活」は邪魔になる言葉なんだな。

    子どもたちに迷惑をかけないようにと言うならば、むしろ事務的にお金やモノの行き先を決める「生前整理」という言葉のほうがしっくりきますよ。これなら、人生を楽しむために、今、やれることをやっておくという前向きな作業として感じられるから。

    体力は70歳の時よりも確実に衰えているし、時にうつのような気分になることもある。だけど人生を僕の好きな野球にたとえるならば、77歳の僕の人生は、まだ7回裏くらい。野球では8回表で大量得点もあるし、9回裏のサヨナラゲームだってある。つまり終盤戦も見逃せない。

    たとえそれがヒット1本であっても、「まだまだこれから」と気持ちは高揚し、その後の人生も活気づく。「最後まで捨てちゃいけないよ、人生は」ですよ。僕だって、この先、再婚するかもしれないしね。(笑)

    素敵な歳の重ね方をしている女性は「お嬢さん」

    以前、『おもいッきりテレビ』をやっていた時、スタジオ観覧の席にいらっしゃる高齢のご婦人を「お嬢さん」と呼んで、「どう見てもお嬢さんじゃないのに、なんて嫌みなんだ」とヒンシュクを買ったことがありました。

    でもね、上品で、毅然とした雰囲気が漂っているご婦人だったので、自然と「お嬢さん、どちらからお見えになったんですか?」という言葉が出たんです。今でも、素敵な歳の重ね方をしている女性は、僕にとって「お嬢さん」です。

    50代の女性は50代の、60代は60代の、そして70代は70代の、その年齢なりの素養があり、色気が滲み出るもの。男はみんな若い女性が好みのように言われるけれど、そんなことはないですよ。

    僕くらいの年代だと、人生について語りあえる経験があって感性も近い。そんな女性だと安心して寛げるし、ぜひお近づきになりたい、一緒に食事をしたい。そう思って同世代の女性を見つめている男性は多いのではないでしょうか。

    「もうこの歳だし」「そういうのは卒業」なんて言わないでほしい。『婦人公論』の読者世代だと、まさに人生これから。「もう……」じゃなくて、「もっと」です。

    あらためて、みなさんに言いましょう。「あなた、男たちに見られていますよ!」「狙われていますよ~!」。その意識があれば、いくつになってもその年齢に応じた魅力が輝き、人生は楽しいものになる。

    終活なんて、考えなくてもいい。終盤戦に向かうなか、人生の「珍プレー好プレー」はまだまだこれから。僕だって、妻への想いはさておき、素敵な《お嬢さん》との出会いを期待しつつ、毎日、歩くトレーニングに励んでいるんだから。(笑)